1.はじめに

ADHDは脳の障害ですが、特定のことが全くできないというわけではありません。物理的に不可能というなら別の話ですが、基本的には世間一般ができることはできると考えてよろしいかと思います。

という風に書くと大雑把になってしまいますので、もう少し細かく説明をします。

私が書きたいのは、時間と労力を惜しまないのであれば、いつかは出来る可能性はあるということです。なので「できる」というよりは「やれなくはない」という、広義の意味での「できる」です。

極端な話になりますが。とある目標について、「できる・できない」をマラソンに例えたとします。当然、ゴールから遠い方がクリアするためのハードルは高くなります。

人によってスタート地点がバラバラだったとして、100人いる中の平均スタート地点がゴールから5kmの場所だった場合、ADHDはそのスタートラインから更に1km後方から始まります。

様々な出来事をマラソンに例えたとすると、平均地点よりも後ろから始まることが多いが、ゴールできないことはない。大凡そういう意味合いです。

ただ、その中でも好きなこと。これについてのマラソンは、足が3倍速くなると思ってください。後方スタートですが、足は速いです。興味があるものに関しては普段以上に超人的な一面を見せます。

このように、何をするにしても、いつかはできる・やればできるというのが前提にあるのがADHDだと思いますが、それは誰であっても同じことです。今すぐなのか、来年なのかは各々です。

だから、全てのことに可能性がないわけではないと思っています。

2.算数は好きだけど・・・赤点!?

好きなことについては3倍速くなると先ほど書きましたが、落とし穴もあります。

マラソンも、ただ走っていれば良いわけではないですね。走るペース、給水、足元の確認、コースの把握、フォーム等々。ゴールへ辿りつくためには様々なことが必要です。

算数も、ただ計算ができれば良いわけではないです。数字を見間違えないこと、文章問題を読み解く読解力は必要ですし、計算ミスや単位の書き忘れをしないことも重要です。

不注意傾向が強いと、ケアレスミスがネックになり、成績としては低くなってしまうこともあります。更に、見直しをしても自分では気づかないこともあるので、見直しが見直しにならない、なんてことも多々あります。

ここら辺の工夫は不可欠ですが、裏を返せば工夫さえしておけば何とかなるという話でもあります。本人の能力は本人の好きなことで伸ばしていく方が伸ばしやすいでしょうから、有効活用するためにも、工夫やフォローについては周りのサポートがあるとスムーズだと思います。

その上でどうするか、最終的には本人に合ったものを本人自身が選択できれば良いと思います。周囲の予想の斜め上だったり、突拍子もないものだったとしても、否定せず認めることが本人の特性を伸ばす一番の方法ではないでしょうか。

そこで周りがこうしているからとか、普通ならこの方法だとかいうような固定概念を押し付けると、本人が望むものでなかった場合には自他ともに苦しむことになります。

誰だって自分に合わない方法を強いられるのは苦痛です。それが好きかどうかは別としてですが。

ここについてはグレーゾーンです。本人が望んでそれが良いと判断しても、周りはそうではないと感じる様な場合ならば、望むままに行動させるわけにはいかないこともあります。

時には本人が苦痛に感じることを強いなければならないことも出てくるでしょう。それを止めるか止めないかは、小学生であれば、親や教育者の判断に委ねるところが大きいと思います。

この辺りは大人と子供の違いですね。行動の責任の在処を問うた時、自己責任になるかどうかということでもあると思います。

ただ、あまりにも自分本位に振る舞うことで相手を思いやれないような行動を取るのであれば、せめて本人は良くとも周りがそうではないことを教えても良いのではないでしょうか。

自分の子供であれば、両親がその役目を担うべきだとは思います。将来それでトラブルが起きた時、苦しむのは我が子であることを忘れないでほしいですが、何でもかんでも口を出すのも如何なものでしょう。適度が大事です。

3.習い事は期間を設けて

タイトルにはオススメの習い事は?とありますが、正直な話そんなものはありません。本人の好きなこと、興味を持つことを本人の意思でやらせるのが一番です。

将来的に考えてとか、男の子だからとか、そういった理由では選ばない方が良いと思います。それよりも、好きなことは3倍速くなるというわかりやすい性質があるので、それを活かした方面で考えることをオススメします。

しかし、やってみないとわからないことがあるのもまた事実です。最初はやる気も興味もなさそうだったのに、暫くしたら意外と順調に進んでいる。ということも十分あり得ます。

本人がそれに関わることで刺激を受けて、意欲がわいているというのなら続ける価値はあると考えます。そのためにも、ある程度の期間を設けた方が惰性で続けるよりは切り替えがしやすいと思います。

難点なのが、本人が何を好むのか、本人もよくわかっていないことが多いという点です。

なので、好む・好まないはさておき、様々なことを見て、触れることで選択肢を増やすことを推奨します。好まないとしても、それは現段階の話です。

いつかの選択肢として用意しておけば、それだけ生きることへの幅が広がるのではないでしょうか。

外向的な子なら外へ連れ出すも良いし、内向的な子なら家の中でできることを考えるも良いです。その子にあった経験の積み方を、身近な人たちが一緒に探してほしいと思います。

あとは家庭のお財布事情と、本人次第です。

4.まとめ

何事も、できる・できないは本人によるし、ADHDにはこういうのがオススメ、というのも本人がやろうとしなければ続いても効果は薄いのではないでしょうか。

というよりも、できる・できないで考えるのではなく得手・不得手で考えてほしいです。苦手なことが多いというだけであって、ADHDの可能性をゼロにしないでほしいと思います。

ADHDは努力を怠る理由ではないし、免罪符でもないと私が考えるのはそれが理由です。

最初の話に戻りますが、周りと比べた時、スタートラインよりも1km後ろの場所にいても、むしろ隣の県にいたとしても、誰にでもゴールに向かう自由はあります。

それでもチャレンジするのかしないのかは、本人次第です。しないを選ぶ、或は挑戦して途中で辞めてしまったとしても、それはADHDだからではなく本人の意思であることを本人自身も周りも理解するべきだと思います。

距離があればあるほど、成し遂げられない確率は高くなります。

自分の子供がADHDであれば、やるせない場面に出くわすことも珍しくないと思います。
健常者と同じ距離を走っても、彼らがスタートした位置にたどり着けるかどうか、という結果も多くあることでしょう。

他の子供はとっくの昔にゴールしてどんどん先に進んでいるのに、まだ走っている。それどころか後から来た人に追い抜かれているような有様ですらある。

それをどのように解釈するかは委ねます。

可能性をゼロにするとは諦めです。それが最善の選択肢である時もあります。ただそれでも、何人に追い抜かれても、どれほど距離が遠くても、何度中断しても、生きることの可能性だけは、ゼロにしないでほしいと思います。