発達障害児は、色んな場面でいじめの対象となりやすい子が多いと思います。
そのいじめは、口頭でからかわれたり、おもしろおかしく笑われたり、ひどい事を言われたり、身体的な暴力も含め。
やはり発達障害児は、独特の考え方・世界観を持っていたり、会話の切り口が少しずれていたり、グループで皆が楽しく会話をしていても、ただ楽しくて(嬉しくて)皆が話している話題(内容)とはおおよそかけ離れた事を話していたり。
学校と言う社会にいる時間が長くなれば長くなるほど、そんな子供達の事をいち早く察知して、いじめの対象に狙うようなある意味の感のするどい子供もいて、トラブルに発展して行くのかもしれません。
発達障害児も低学年の頃は、それがいじめである事に気付かない子もいるようですが、少しずつ年齢を重ねていくうちに、気付いてくると自分の廻りには誰もいなかったり、仲間外れにされたり、拒否されたりするようになっている事に気付いてくるようです。
発達障害児に対するいじめの中で、やはり気になるのが口頭によるいじめだと考えています。
それは、周囲の子供達も年齢を重ねていくうちに、良い事悪い事を学び、いじめが影を潜め出すと、先生や他者に叱られないように、まずは暴力から口頭での暴言に変わってくる傾向があると思います。
それも年齢を重ねる事によって、子供達もその場で切り替えが効くようになり、先生の見て無い所ではいじめるが、見ている所ではなんでもない風に装う事も出来るようになって来ます。
その場で自分の態度の使い分けが出来るようになると言う事ですね。
その事は、ある意味発達障害児を混乱させる事であったりもします。
しかし、発達障害児も黙って言われるがまま、やられるがままでいるわけでもなく、当然自分が嫌な事をされていると言う事に気付き、怒りと言う感情だってあります。
ただ悲しい事に発達障害児は、口頭で言い返すと言う事も難しかったりして、つい体当たりで相手へ感情をぶつける事にもなります。
そして気持ちの切り替えが難しかったり、「ここまで」と言う限度を知る事が難しかったりするので、お互いに揉み合いになったりした際に、自分にブレーキを掛ける事も難しく、周囲に抑え込まれ余計に興奮してしまうケースになったり、周囲の「やめろよ!」と言う言葉に反応出来なかったりし、結果的に「悪者」にされてしまったりする事もあるようです。
それとは逆に発達障害児が他の子供達をいじめると言う事も存在します。
その時に発達障害児の親の中には「接し方が解らないから」「きっと(推測)先に手を出されたから又は暴言を吐かれたから」「本能的な障害の特徴で他意(いじめ)はない」などとの台詞が出てくるのかもしれません。
しかし、これもまた現実にある事で、「やる側」「やられる側」と言う立場で分けてみると、やられた側がその行為に対して不快感を持ったり、いじめだと感じたりするようであれば、それはいじめなんだろうとも思います。
「いじめ」という言葉がその程度こそ違えど、両者に存在するのは確かだと思います。
発達障害を持つ子供は、ある意味の健常者のいじめと違い「賢くない」「場での使い分けが出来ない」分、他者の目の前であったり、先生の目の前であったり、誰かに目撃されるケースも多々あり、悪いのは誰か?となった時に、多くの人から指摘される事もあるでしょう。
これは、ある意味の健常者との大きないじめの違いでもあるのではないかと思っています。
どちらが良い悪いの問題ではなく、どちらにも大小の違いはあれど、何かしらの理由は存在する事も忘れてはいけない事だと思っています。
ただ、これだけは知っておいて頂きたい事の中に、発達障害児(の親)と健常児(の親)との間では、いじめに対する認識と言うか思いに大きな違いがあると言う事。
私の周りの健常児の親は、「子供のうちに経験として必要な事」とおっしゃる方も意外に多く、あまり気にする方は少ないようです。
が、そう言う人に限って子供達の中での話を聞いてみると、こう言う意味での分類はしたくはありませんが、「被害者」の立場の子よりも「加害者」の立場の子が多いとの事。
また、学校の先生も同じような考えを持ってらっしゃる方が意外といます。
ただ、発達障害児はそれでは済まされぬ事(二次障害等を含む)もある事からも、いじめに対する認識の温度差もあると言う事については、知っておくべき事でもあると思います。