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第一次反抗期

2010.07.01

2歳~4歳(個々によりばらつきはありますが)くらいの頃から、自我が芽生えてきて、自立が始まった特徴ある時期の事を、第一次反抗期と言います。


今まで全て親の手を借り、周囲の手を借りてやっていた事が、運動能力の発育と共に、全面的依存から「嫌だ!(イヤイヤ期)」「自分でする!」と言う時期に移行してきます。


親としては、イヤイヤ期だ~と思いつつも腹が立ったり、自分でする!と言う自己主張に、そんなん出来ないくせに!と思ったりする事もありますが、これが自立の第一歩らしいです。

まさに今の私(hoko)がこの親の立場です。。

子供にしてみれば、親の言われた通りにしているよりも、自分で行動した方が面白く、初めて自分で考え、初めて自分で行動したのであって、親に逆らうためにしている訳ではありません。


子供の自立が始まったのですから喜ぶべき事なのです。
子供に少しずつ任せる時期がきたということです。

しかし、まだ何の経験もない子供は、興味に任せて行動すると、とんでもない間違いや、危ないことなどをするのも事実です。


このときの親の態度としては、危険なときはとんでいって止めさせる必要がありますが、そうでない場合は、子供に分かるような言葉ですぐに話して聞かせ、教えてあげることが必要です。


ただ、まだ子供には論理性が育っていませんから理屈を捏ねても効果がありません。
子供のレベルまで下がって教えてあげましょう。


これまでは母子一体感できたものが自分はお母さん(親)の一部ではなく、別の人間なんだということに気が付いてそれを態度に表すようになるのです。


それが、「イヤダ!」と言うイヤイヤ期の始まりです。
イヤだ!と自己主張する事により、自分の存在を誇示し、「自分と親は別の人間である」と言う事を主張しているのです。


親としては、そう言う子供の主張を受け入れ、子供を一人の人格として尊重し、認めてあげる時期に来ているのでしょう。


子供に自立が始まったら、自分(親)の意思とは違う行動をする子供を受け入れるだけの自分に成長しなければならないということにもなります。


逆に、親のいう通りにしていればある程度、結果が悪いはずはありません。
だから子供は安心してしまいます。


子供にとっても、味方である親や先生(保育園や幼稚園)の言うことを聞いてさえいれば、自分に不利になるはずがありません。


ですが、このようなことを続けていくと、人の言うことを聞く習慣を身につけてしまい、自分で良い事悪い事の判断を付ける事もできなくなり、誰かに頼る事しか出来なくなることにつながる場合もあります。


親や先生を相手に「イヤダ」を連発することは将来自分を守るために、とっても大事で必要な練習が始まった!と言う事になります。

中間反抗期

2010.07.01

小学生も3、4年生になるちょうどギャングエイジと呼ばれる時期がこれに当たると思います。


学校でもすっかりと慣れ、学校内でも外でも色んな経験をし、知識も増え、知能も高くなり、色んな意味で賢くなって来ます。


この頃には、ある意味学校で習う机上の色んな理論的な事や、社会の事、家庭での色んな事に矛盾を感じてくるようになる時期にもなるでしょう。


ただ、賢くなったからと言っても、色んな事が絡みあって世の中が廻っていると言う事までは考える事は出来ません。


例えば、我が家は二人の子供がおり、年の離れた兄妹です。
息子は発達障害を持つ子。
妹は現在イヤイヤ期まっさかりの第一次反抗期。


どちらにだけ集中して育児をする事など不可能であり、息子が学校に行っている時は娘に集中は出来ますが、息子が帰って来たその瞬間から、片方に集中する時は、もう片方には手も目も行き届かなくなります。


すると、「ママは僕と妹どっちが大事なの?」とか、「僕はほったらかしになってきた」などと言います。


親は、そう言う子に対して「我がままに~」とか「屁理屈をこねて」とか言います。


また、親からの小言や予定に対して指摘されると、「今やろうと思っていたのに」とか、「パパ(ママ)だってやってるじゃん」と言う言葉を出すようになり、親への批判が出て来ます。


ここで大事なのは、「親(大人)の都合」や、親(大人)の権力で、子供を制してはいけないと言う事です。


まだこの時期ですと、親の権力を使えば、子供は、仕方なく黙ります。


しかし、親が少しでも強い制圧的態度、圧倒的優位な親の力を使うと反抗的態度を長引かせこじらせてしまう事にもなります。


子供は、権力でねじ伏せられたこと、不満が解消されなかったことは、決して忘れません。


この時期、子供はある大切な、確認作業をしたがります。


それは、自分は、周囲から愛され認められているか、
そうでないか
ということを判断する「自己決定」の作業です。


ここで、「自分は、周囲から愛されておらず、認められていない」と自己決定した子は、その後、ずっと悶々とした気持ちを抱えることになるでしょう。


子供に愛されていると思わせる事は、金品を与える事ではありません。
気持ち、心、その信頼関係が必要です。


少しでも、子供が周囲から愛され認められていると感じ、自信を持って伸び伸びと前向きに生きれるために、大人は、どのよな対応を取るか、よーく考えたいものです。


こんなことを言う人がいます。


「子供に指摘されて謝っていたら、親の威厳がなくなる」と・・・


でも、親であるあなたならどうでしょう。
ただ、「威厳」と言う言葉に振り回され、権力を振りかざしてる自分の親と、真摯に受け止め謝るべき所は素直に謝る自分の親。

あなたは、どちらを信頼し、尊敬出来ますか?


私は、真摯に謝ることの出来る親の方が、賢く、心が優しく、強い親だと、尊敬、信頼します。


また、自分を一人の人間、一人の人格として見てくれている親だと思い、感謝もします。


威厳と言うものは本人が自分には威厳がある、親だから威厳を保たないと!と言う物で生まれるものではなく、その生き方、言動を通じておのずと、子が感じ、周囲が感じて生まれてくるものです。


事情があるにしろ、子供の気持ちを汲み、親が指摘を認めたり、精一杯の答えを出してあげれば、子供もまた、そのような人へと育っていき、お互いに素直に尊重し合える親子関係、人間関係が築けるのではないでしょうか。


逆の場合だと、やはり子供もも謝らない人へと成長し、思春期になったときに、親と同じように、力で向う子になるでしょう。


そう言う意味でも、この中間反抗期の時期は、将来を踏まえたとても大事な時期のスタートにもなると思います。

自己決定・自己責任について

2010.07.01

「自己決定」とは人間関係を前提として、人間関係を通じて生じてくる考え方です。


子供の自己決定がどう受けとめられるかということも、その子供とまわりの大人との人間関係の中で決まってきます。


子供には自分で考え行動する時期が始まり、その時期に他者(この時期の子供で言えば親の場合が多い)による干渉により、その決定を曲げられたり、決定をする事を許されなかったりすると、子供の頃に育って行かなければならない自己決定能力が育たなくなります。


自己決定をすると言う事は、同時にそれに対する責任も付いて廻ります。


これは、子供に対して、自分で決める権利があると同時に責任もあるんだよ、と言う事を親がしっかりと教える時期でもあります。


自分で決めたんだからあとは勝手にやりなさいと突き放す親もいるようですが、そうではなく、その後も見守りつつ関わりを持とうとする事も必要です。


自己決定と自己責任の問題についても、自己決定をするならすべて自分で決め、その結果もすべて自分の責任として引き受けなければならないというわけではありません。


子どもが自己決定をする過程で、大人がさまざまな情報や助言を提供することは当然求められます。


また、自分の選択が間違っていたと子どもが考えるようになれば、やり直しの機会も保障されるべきでしょう。


子どもが自己決定したからといって大人がすべて責任を放棄してよいというのは、あまりにも一面的な考え方だろうと思います。


この時期の自己決定とそれにまつわる自己責任が発生する事からも、子供にとって将来的に自立するにあたってのとっても大事な事を学び始める時期として、親としてもしっかりと考えなくてはならないと思います。

第二次反抗期

2010.07.01

中学生くらいになると、急激な身体的変化、とりわけ性的成熟に当面して、児童期からの連続性が破壊され、大きな不安を覚えるようになります。


そこで、自分とは何か、自分には何ができるか、自分の社会的役割は何かを、新たに求め始めるようになる。


それまで小さく抗いながらも、親や教師を、とてもかなわない存在として信頼してきた状態から、親の本当の姿が見えはじめ、「なんだ親もただの人」、あるいは「許すことの出来ない卑怯な人間だ」となって今までの生き方では我慢できなくなり、行動を起こすのです。


全ての権威や、社会のル-ル等に疑いを持ち、軽蔑の対象とするのです。


自分の意見を強硬に主張して、親や教師の指示を無視したり、手向かったり、沈黙を続けたり、内に閉じ込もったり、風変わりな服装や言動を誇示したり、いたずらをしたり、ときには暴力を振るったりすることもあります。


そのうえ、思春期初期は、自我が十分に確立されていない時期なので、自信のないまま反抗的行動をとる事もあります。


そのため、単なる強がりの虚勢的反抗である場合が多いのですが、しだいに自我が強く意識されてくるにつれて、その反抗も自分の信念に基づくものになっていく。


理想と現実のはざまで自分自身にも腹が立ち、あるいは自信のなさを隠すために反抗するのが第二反抗期です。


しかし、こういった経過をたどるから、次第に自我が強く意識され、確立して、その反抗も自分の信念に基づくものになり、余裕を持って他者と協調できる力が養われていくのです。

子供が見せる姿は必ず必然性があります。それを良く理解していくことが大切です。


この時期は子供に任せるに限ります。


自分の事は自分で解決するよう待ってあげることです。


ただし、子供を信頼して任せられるよう、それまでの子育てをしっかりとする事が前提だと思います。

反抗期の必要性

2010.07.01

反抗期は心理的に未熟な子供が有する親への甘えと、心理的に成熟した大人が有する親からの自立、独立心という相反するものをもつことによるストレスを親に向かって発散するものです。


それを親が受け止めることで子供は自我を確立することができ、反抗しても相手は自分を嫌ったりしないという安心感を得て、自分を大切にする人間を見分け大切にすると同時に自分を不幸にする人間を見抜き、反抗する判断力を養うことができます。


でも、それができない親とは反抗期が生じる以前の幼少期の時点で親自体が子供に対して相反する感情をもっているので子供は安心して親に身を委ねることができず、人間関係を築く第一歩の時点でつまずいてしまいます。


人間のコミュニケーションは親とのコミュニケーション→幼少期における周囲とのコミュニケーション→友達とのコミュニケーション→社会でさまざまな人とのコミュニケーションという順で適切な関係を築いて行くものなので親がそれを克服できていないと最初の基礎ができていないので当然、それ以降も難しくなります。


足し算ができないのに中学・高校・大学の数学を学んでいくようなものです。


相反する感情をもった親はそれを自分で処理できず、かつ自分がそうであることに気付かずにその問題を何の苦労もなく楽に解決する方法が子供にその感情を押し付ける方法です。


子供の意見を許さないというものです。
親の感情で解決してしまいます。


反抗期があれば自己表現ができ、自分の気持ちを相手に適切に伝えることができるのでより良い人間関係を築くことができやすく、自分に不適切な人間を見抜く力も養えます。


でも、無かった人は誰が自分を大切にしてくれる人かを見抜けず、誰にでもその苦しみを表現してしまうのでとんでもないずるい人に騙されます。


ずるい人はそういう人を見抜く力を本能的にもっています。


そして、騙されて傷つきその癒しをまたもやとんでもない人に求めては・・・の繰り返しです。


当然、生きるのがどんどん辛くなってしまいます。


この行為は彼らを助けることができる人を遠ざけることにもつながります。
恐ろしい悪循環の繰り返しです。


反抗期ができない人の事を世間では良い子といいます。
良い子とは親に安心して信頼関係を築けなかった子供であり、表面上は問題が無さそうに見えても親子の心のふれあいはありません。


反抗期が大事とかそういうレベルのものではありません。


反抗期が許されないという事は、その人が心理的に健康になれるかなれないかを決める大きな別れ目でもあります。


良い子=真面目ともとれるので真面目で働き者のサラリーマンが燃え尽きるのもここまで書けばある程度は理解できると思います。


反抗期が無い子というのはその母親が母なるものをもっていない人でもあります。


生まれた時点でおかしくなることを運命づけられているといっても過言ではありません。


あらゆる社会問題の背景には反抗期の有無も関連していると思います。


学問的にはあまり実感できませんが、実例でこれを学ぶとどれほど恐ろしい話かは理解でき、簡単に口に出せる「反抗期」と言うものがいかに必要でいかに大事かと言う事がおのずと解って来ます。


親次第で子供の将来の人間性も位置づけられると言われているようなものですね。

息子の中間反抗期

2010.07.01

現在中間反抗期真っ只中の息子です。
ある意味、ギャングエイジと言う年齢がそのまま中間反抗期に当てはまる年齢ですね。


思えば、3年生の頃にクラスでいじめに合い始めた頃からその言葉数は少なくなりました。


さすがに暴力的な行為が始まってからは私にもその傷等で解るので一応は話してくれてはいましたが。


3年生の頃の息子は、それまで守られて来た2年生の1年間と比べてあまりにも違い過ぎる環境に戸惑いつつも、しばらくは親の権力を借りて、そのクラスのいじめを失くしたいと思っていたようです。


が、裏では先生と連絡を取りながらではありましたが、本人には特に何も言わず、見て見ぬ振りをしていた結果、自分でどうにかしなければ、考えなければと言う、自己決定の必要性が芽生えて来た頃です。


そして、見事自分で解決した。


その時は、見て見ぬ振りをしていた私も、ここぞとばかりに息子を抱きしめて涙を流しながら本人を褒めたものです。


そして4年生になった今。
本当に口数が減って来ました。


聞いても「別に~」ってあんたエリカ様かい?って言いたいくらい。


なので、今の所は息子から話しかけてきたら「じっくりと聞いてあげる」けど、こちら側からは特に様子がものすごくおかしい時以外は「何も聞かない、詮索しない」と言う姿勢を見せています。


時々急に思い立ったようにイラつく事もあって、その原因が何かと言う所までは突き止めてはいません。
が、しばらくすると次第に落ち着いてくるので、ある意味自己解決してるのかな?とも思っています。


まだまだ中間反抗期真っ只中の息子。
親としての対応も、これでいいのか?と手探りの状態ですし、この中間反抗期が終わる頃には第二次反抗期に思春期も重なります。


親としてはタメ息の日々が始まっています。。><

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