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自主退園

2010.07.05

超未熟児で生まれた事もあり、年中からの入園に決めた息子の入園式。
準備も粛々と終わり、いざ入園式の日。


集団での落ち着かない息子を見る事になります。
その後、何度か担任の先生や園長先生も含め、色々とお話をした事もありましたが、その時の園側の対応は、


「少しずつ慣れて行きましょう。園と家庭と連絡を取り合い、息子さんの成長が促せるように手を取り合って行きましょう」


と言うとてもありがたいお言葉でした。

が、後になって知る事になりますが、その時の園長先生の意図としては、「躾がなってないから、徹底的に指摘させてもらいますよ?」と言う事だったみたい。


診断が降りた途端、真っ先に言われた手のひらを返したような言葉。


「躾が出来てないわけじゃないって解って良かったじゃないですか!」
「うちは幼児教育の事で頭がいっぱいで、障害児教育はしてないんですよね」
「うちに来ればお子さんの障碍が治るとでも思ってましたか?」
「実は入園前から障害があるって事は解っていたんじゃないですか?」
「もし、入園前に障害が解っていたらうちの園を選びましたか?」


上記の言葉を言われたのが、診断された翌日の事でした。


親としてもまだ受け入れられてない時、これからどうして行けばいいのかも全く考えられてない時でした。


とりあえず、障害のある子は、幼児教育の対象ではないと言われ、即座に自主退園を申し出る事に。


園長先生、ホッとしたような顔をされてました(笑)
辞めて良かったです。。。


息子の居場所は、ここではないと感じたから。
息子がもっと成長出来る場所がきっとどこかにあるはずだから。。と。

幼稚園浪人中のママ幼稚園とママ療育^^

2010.07.05

春に入園した幼稚園を辞めた事により、まずは息子がその理由をたびたび私に聞くようになりました。


「僕が幼稚園で悪い子だったから?」


返答するのに適切な言葉が思い浮かばず、ただその時は、「違うよ?Yuuには合わない幼稚園だったのよ^^ 今度はママもっとYuuにも合う楽しい幼稚園を探すから、もう少し待っててね^^」


ただ、その時は毎日のようになっていた幼稚園からの電話が来なくなった事だけが、私の中でのストレスがなくなったようで、かなり精神的に楽になってました。


そして決心したのが、ママ幼稚園!と、ママ療育!!

毎日のように息子とあえて息子が苦手とする人ごみに出掛けたり、その人ごみの中でも楽しい事を見つけられるよう、そしてその楽しい事をするには、少々我慢も必要で、頑張らなくてはならない事、などを教えながらの楽しい日々でした。


水族館に行き、いるかと握手をしたり、動物園に行ったり、横浜のランドマークへ行ったり、横浜の赤レンガからランドマークまでの馬車道の散歩道は、息子の大のお気に入りの道でした。


雑貨も好きで、よく雑貨やさんにも通ったものです。
そこでも、可愛いからと手を触れない、どうしても手に取って観たい時は、「さわってもいいですか?」とママに聞いてから!と言う風に、少しずつではありますが、日常の生活の中で、必要な事を教えていく。


時折開かれるクラシックコンサートを聞きに行ったり、中高生の吹奏楽のコンサートを聞きに行ったり。
その場に合った行動と言うのも、学習しました。


夏には、江の島へ泳ぎに行ったり^^
予定が無い時は、毎日のように水族館から江の島の海~が遊ぶコースでした^^


そう言う中でも、息子は少しずつ成長を見せてくれてました。
順番を待つ事を覚えたり、私が同行出来ない子供だけでやらなきゃいけない時も、順番を守って前の子に付いて行く、と言う事まで覚えました^^


自宅にいる時は、療育でも使ってるビーズで色んな作品を作ったり、幼稚園にいるならば季節ごとに色んなものを作ったりするだろうとも思い、色んな作品を二人で作って楽しんだり、手先が器用だと解ったのもこの頃。


一緒にお手玉を作ったり、ビーズで私が作るネックレスが好きで、息子と共同で初めて作った作品は、ムシキングのポポが首にしているどんぐり?のネックレス。
どんぐりの形のペンダントトップをガチャポンで手に入れたので、皮紐を付けてネックレスにしました。



ガンプラにはまったのもこの頃から。
我が家には数十体のガンプラがありました。
どうしても難しい時だけ、パパに「僕は難しくて出来ないので、一緒に手伝って下さい」と言う言葉を使い、人にお願いする時の言葉、そして必ず「ありがとう」を添える事も覚えました。


お料理も大好きで、お菓子作りも数知れず。
おやつは全て二人の手作りでした^^


そして、こんな事もしてました。


とかで、数字の練習にひらがなの練習。
そして、弱いとされていた空間創造?のお勉強。


もちろん、テキストもママお手製^^
息子がお昼寝や、夜寝た後にせっせと作ったものです^^


そして!休みの日には、体育の授業!!
パパ出動で、鉄棒で逆上がりの練習に、縄跳びの練習。
出来るようになんないって言われた事もあって。。必死でした。



懐かしいですね^^
今では体操教室のおかげで、両足逆上がりも出来るようになりました^^


このある意味のママ幼稚園とママ療育。
親子で心から楽しみ、自然に息子の苦手とする事も解って来始めて、気が付くと息子の障害についても、障害名ではなく、息子の苦手とするもの。。と言う意味で、自然に受け入れていたような気がします。

新しい幼稚園へ

2010.07.05

そう言う幼稚園に行かなくても、二人で楽しく過ごしていた毎日でしたが、ある時、以前通っていた幼稚園の園バスが横を通りかかります。

そして、乗っていたのは当時の担任でした。

思いっきり手を振る先生。
そして、それに応えるように手を振る息子。
その時の息子の眼差しは、やはり幼稚園を恋しがってました。


息子には悟られぬように、実は裏では毎日のように、幼稚園探しも並行して行ってました。


それでも市内のほとんどの幼稚園に電話をしてお話をしても、どの幼稚園にも手に余るほどの障害児がいて、これ以上の受け入れは。。と断られる。


ある時、通っていた療育センターで、もう限界とばかりに泣き崩れ、療育の先生方に助けを求めました。
そして、紹介して頂いたのが、息子が新しく通う事になった幼稚園です。


療育の先生の奥さまが以前そこの保育士をされていたとかで、その関係で繋がりもあるとの事。


すぐに私も連絡を入れ、療育の先生からも連絡が行き、幼稚園へまずは訪問してみます。


そして、園内を見学させて頂いた後に、園長室での園長先生と主任先生と面談をした結果、想像していた以上に許容範囲内のお子さんです。
お子さんは幼稚園を欲してます。
ただ、うちの園でも障害児の数が多く(息子の同級生はかなり多かった)、しばらく母子通園をして頂いて様子を見させて頂けますか?との事でした。


それから不定期に幼稚園側の都合の良い時にと言う事で、母子通園が始まります。
そこで、私は集団での息子の様子を目の当たりにしながらも、ただ私が付き添っているのは、息子の為ではなく、他のお子さんに危害が無い為。


そう言う母子通園が数カ月続いた後、入園の許可を頂き、無事に幼稚園に通う事が出来るようになりました。


11月1日付の事でした。


始めは、バスでの通園が出来ずに電車で通う毎日でしたが、それでも毎日が楽しく、園内では困った行動が毎日の息子でしたが、息子の楽しそうな充実した顔を見るのがとても嬉しかったのを覚えてます。


ただ、やはり他害行為があると言う事で、周囲の園児の保護者の方には申し訳ない気持ちでいっぱいで、入園して初めてあったクラス懇親会の席で、息子のADHDの事、お子さん方に迷惑を掛ける事になり、大変心苦しい事、今は、園と療育と家庭とで日々頑張っている事などを伝えました。


当時の年中のクラスの中では、その後息子の診断名のADHDについて調べてくださったり、本を読んで勉強して下さった方がいらっしゃったり、保護者の中には、パパさんがADHDと言う障害名を聞いた事があり、歴史上の人物の中にはADHDを持ったこう言う人がいるんだよ!とか、良い事をたくさん教えてくれたりもしました。


園側の理解は、そのまま保護者にも伝わるのか。。と思いながらも、順調な園生活のりスタートになりました。

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