はじめに  宣告を受けて・・
 幼児期   個性的な子供
 学童期   学校では?  自傷行為  人との関わり  興味を持つ事
 成人期   仕事  人との関わり
 全般期   頭の中ぐるぐる  今、思うこと・・・

◇学童期の私
学校では?
 小学校編

未熟児で生まれた私でしたが、この頃にはかなり大きく成長し、入学式の記念写真では、周りの子よりも頭一つ分くらい背の高い子でした。
この頃から自覚し始めた事の一つは、「目立つ事が好き」でした。

勉強はもちろん好きではなく、授業中にはいかにして目立ってやろうかと、そう言う事ばかり考えていたような気がします。


その中の一つに、当時流行っていたCMなどで流れていた「駄洒落」を効果的な場面で使いたくって、でも授業中にいきなり言う勇気はなく、色々と考えてた結果、それを「他の人に代弁させる」と言う事でした。

もちろん、それを代弁した子は、クラスの中でも私と同様なタイプで目立つようなやんちゃな子で、私がぼそっと言ったその「駄洒落」を聞くと、「よ〜し、もらったぁ」ばりの乗りで使い出し、もちろん先生からはこっぴどく叱られ、でも私はその場面で他の子達には受けていた事を「よっしゃぁ」と喜んでいた覚えがあります。

勉強については、そう言う私を懸念してか、入学当時から専業主婦だった母に毎日みっちりと自宅での学習を強いられてました。
復習はもちろん予習も。
もちろん、それは全教科。

そのおかげで、テスト等はきちんと点数は取れていたようですが、自分は家でやっていると言う変な自信があったのかどうかは分かりませんが、授業態度の悪さはこの頃から始まってました。

小学生時代の通知表に必ず書かれていた事は、「落ち着きがなく、授業態度が悪く、真面目に取り組まない」等々の言葉が多かったですね。

おまけに、積極性がなく、自分から何か目標を見つけて取り組む事が出来ない、与えられた課題は、いつも期限が来てからしぶしぶ取組み、夏休みの「夏休みの友」などは、始業式が始まってから取り組む事も多かったです。

その頃から、母は「授業の予習復習は自宅でみっちりさせるけど、宿題や課題は、自主性を重んじたい」との意向で、私には強要はしませんでした。

その代わりいつも言われていた台詞が「後で困るのはあなた自身だから」でした。

そんな私が、唯一自分から積極的にやった事があります。
それはピアノでした。
人間何か一つは取り得があるもんだ!とばかりにピアノだけは上達も早く、当時の先生には市内では一番の腕があると言われたくらい。

ただし、個人レッスンを受ける前はヤマハの集団でのレッスンに行ってましたが、そこでも周りに合わせてちんたらちんたらと進むレッスンに飽き飽きして、態度が悪かったのは言うまでもありません。

結局、集団での態度の悪さは、お墨付き・・・と言うか・・・・・
自分の興味のある事には集中出来るが、そうでない事は出来ないと言う、ADHD特有の性質が今となっては、私の行動を振り返っても良く分かります。






 中学校編

多分、私の中で一番勉強が嫌いな時期だったと思います。
唯一好きだったのが、小学校ではなかった「英語」。
当時良く聞いていた音楽が、洋楽だった事もあって、英語に関しては全てにおいて吸収が早かったようです。
成績も、英語に関しては中学校、高校通じていつも学年トップ。
テストも95点以下を取った事がないくらいの成績でした。

が、苦手なのが数学。
分からなくなると考えようと出来なくなり、頭の中で何かが働き、考える事を全てシャットアウトしてしまって、先生が何か言っても全く頭には入らず、頭の中で好きな音楽が流れていたように思います。

起立の合図で立って頭を下げ、次の合図でまた立って頭を下げる。
その間、もちろん授業があるのですが、しっかりと1時間居眠りをする事もありました。
この頃から、成績の波はかなりのものがありました。

好きではない数学では、学年最低点を取り、赤点を取り、テストの答案が返って来るときに、先生が「このクラスに学年最低点がいるぞ!」と言っても、周りに合わせて「」誰?誰?」と騒ぎながらも、自分がそれと気づいた時も「私だぁ〜」とケラケラしていたものです。

当時の通知表を見てみると、高校受験の時期に来ても、緊張感がなく、受験生としての意識がない!と手厳しい言葉が書いてあります。
当時を振り返ってみると、妹の口から出たのが、「高校通らないかと思った・・・」と今更ながらそんな事を考えていたのかぁと笑いながら話をした事があります。

その私が、絶対に入らないといけないと言われた部活に選んだのが、ソフトボール部。
実は、小学校の頃から父と一緒にプロ野球のキャンプを見に行ったり、キャッチボールなどをさせられていたせいか、ソフトボール部に自分から入っていきました。

が・・・・
やはり、波があって、練習する時に夏場はいいのですが、冬場になると地道な体作り、体力作りになり、その時期になると辞めてしまうと言う事もありました。

中学校3年間のうち、入った部活はソフトボール部だけだったのですが、何と2度も辞めては復帰、辞めては復帰としてました。
当時の顧問が、「練習は一生懸命にするんだけどなぁ」と、私の不可思議な行動にいつも首をひねっていたのを思い出します。

当時、ポジションはファースト。
打順は5番。
西日本大会で優勝するなど、結構強いチームでもありました。





 高校編


おそらく・・・・・
学生時代を通して、一番勉強に関して波があった時期でしょう。
入った高校は商業高校。

実は、入りたくって入った高校ではなく、両親が「将来何か手に職を」と言う事もあって、入った高校でした。
それでも、小学校、中学校とは違う授業がたくさんありました。

基本的に、私は初めての事に関してかなり興味が沸きます。
そう言う自分は、学生時代を通して、簿記などの勉強を一番真剣にした覚えがあります。

が、もちろん色んな事もありました。
商業高校では、年間を通じてたくさんの試験があります。
その試験の前には、強制的に放課後に課外授業があります。
まだ1年生、2年生の頃は、希望者のみなのですが、3年生になると全員出席の課外授業があります。

私は、この全員出席の強制的というのが大嫌いで、実は一度も課外授業には出た事がありません。
いつもサボってました・・・(-。−;)

この時期になると、サボり方も上手になるんですよねぇ(笑)
それでも、先生達は一枚上手で、やはり自宅に電話連絡というのをしてきます。
その時の母の言葉は今でも忘れられないのですが、「うちでは勉強に関して強制はしておりません、最低限の必要な授業に出ているのでしたら、それ以外の事に関しては強要しないでください、もし、試験に落ちたりしたら困るのは本人ですから」といつも言ってくれてました。

それでも、性格的に気が強く、人に負けるのが嫌だった私は、課外授業には出ませんでしたが、自宅で自分では勉強をしました。
試験前1週間のみは。
それで、とりあえず3年生最後の試験だった簿記1級も、合格しました。
それも・・・・・
課外授業に出なかった私1人が合格でした。

その時に先生に言われた一言。
「やれば出来るんじゃん?何で授業とか、真面目に出来ないんかなぁ」・・・
何ででしょうね。
1時間も机に勝手にしばりつけられるのって嫌いだったんですよ。

皆と同じペースで授業が進み、何をするでも皆と一緒。
これ、小さい頃から大嫌いでした。
ある種、学校での態度は悪かったのは確かですが、自分なりに母と独自に勉強してきた結果、自分で覚えやすい、やりやすい勉強の仕方と言うのを編み出していたのかもしれません。

それでも、やはり嫌いな物は嫌い。
数学や物理、生物は嫌い!
数式を公式を覚えるのは嫌い!
日本史は嫌い!
中国史は大好き♪
地理は今でも分かんない!
英語は好きだけど、しゃべれるようにはなんないし、体育は先生が威張っているから嫌い!
自分だけ体を鍛えてるなんて大間違いな事ばっか言うし、高校生のスポーツマンの体力や構造は、きっと中年の先生よりも上だよ!と思ってた。
私が体力測定の背筋測定で150kgを出した時に、先生からにらまれたし・・・><

と言う感じでした。