はじめに  宣告を受けて・・
 幼児期   個性的な子供
 学童期   学校では?  自傷行為  人との関わり  興味を持つ事
 成人期   仕事  人との関わり
 全般期   頭の中ぐるぐる  今、思うこと・・・


ここでは、私の自傷行為と言う事で、出来ない事へのストレスを解消していたと言う事を書いてます。


◇学童期の私
自傷行為
 小学校編

授業中に決まった時間、座っているのは大嫌いでした。
体がムズムズしてきて、我慢出来なくなるのです。
小学校の時はそれでも、同じクラスに授業中席を立つ生徒が他にもいたので、それに合わせてチョコチョコと動き回っていました。

わざと鉛筆を落としたり、筆箱を全部落としたら目立つよなぁと思いながらも、筆箱全部を落とす勇気はなく、消しゴムだけ落として拾いに動いたり、鉛筆を落として拾いに動いたり、わざと「お腹が痛くなったのでトイレに行きたいです!」とトイレに立ったり。

それでも、我慢できないときは、自分の手をつまんでました。
つまんでもつまんでも我慢できないときは、爪を立ててつまんでました。
これが私の軽い自傷行為の始まりでした。



 中学校編

ある種の自傷行為が活発化してきた時。
授業中の苦痛は、小学生時代よりもより活発化してきました。

ただでさえ、皆で同じ事をするのが嫌なのに、じーっと時間中座っていると言う事は、何にも変えがたい苦痛でもあり、小学生時代の頃から始まった自分の手をつまむと言う行為は、段々とエスカレートしてきました。

まず、シャーペンの芯を引っ込めたシャーペン。
その先で、手の甲を傷付けるのです。
それは、血が出るまで続きました。

座ってられない苦痛を、痛みで補うと言う感じでしょうか。
一時は、頭の中がパニックになって、教室を飛び出て行きたいような衝動もありました。
でも、それも自分の血を見る事によって、どうにか震えながらも我慢出来ました。

シャーペンの次は、コンパスの針だったり、定規の角だったり・・・・・。
それが毎日毎日ですから、傷は広がって行くだけです。
あまりにもストレスが溜まりすぎて、誰も行かない人気の少ないトイレに駆け込み、頭を打ち付けたり、拳をコンクリートの壁めがけて打ち付ける事もありました。

それでも、我慢をする為の自傷行為は、どんどんと続き、エスカレートし、一度付けた傷の上から再度傷をつけると、痛みも増します。
そんな事を続けていました。

一度だけ、隣の席の友達にその場面を見られた事がありました。
休み時間に「どうしたの?血が出てる・・・」と言われ、保健室に連れて行かれました。

その時に付いた知恵・・・・
あぁ・・自分を傷つけた後は、保健室に行こう・・・・



 高校編

ずっと続いていた自傷行為も、高校に入ると、少し治まってくる傾向にありました。
新しい事の連続だったからです。
授業も、新しい分野が増え、知らない事を覚える楽しみも覚えました。

それでも、やはり小学校からの続きで、国語もあれば数学もあり、歴史や物理や生物もあります。
嫌な授業の時の過ごし方は、相変わらず自傷行為でしのぐしかありませんでした。

が・・・・・
この頃は、中学校3年生の頃から付き合いだした他校の生徒との交換日記や手紙のやり取りで忙しく、そう言う事をする時間としていたようにも思います。

それでも、そう言う事が出来ない先生、授業もいて、そう言う時は中学校で覚えた「仮病を使って保健室に行き、寝る」と言う事や、「生徒手帳に親が書いたものと偽り、早退をする」と言う事までやり、実際に早退して家に帰ると、専業主婦の母がいるので、部室で寝ていたり、近くの学生の溜まり場になっていた食堂で時間を潰したりと、成長するにしたがって、悪知恵も成長してきていました。

私のこう言う小学校時代から続いていた自傷行為は、両親も知る事はなく、大人になって親になって初めて知ったADHDと言う自分の症状を親に話をした際に、初めて告白しました。

その時の母の言葉は・・・「へぇ・・・」でした(笑)
でも、その言葉の裏では何を考えてたんでしょうね。
それ以降、そう言う話はしてはいません・・・・